令和 5年第1回定例会(第2号 2月14日)

 

○副議長(永野裕子)  それでは、これより豊島区議会を代表し、高野之夫豊島区長に対する追悼の辞を、木下広豊島区議会議長にお願いいたします。

〔木下 広議員登壇〕

○26番(木下 広) 豊島区議会を代表し、故高野之夫豊島区長の御逝去を悼み、謹んで追悼の言葉を申し上げます。

年明けから新型コロナウイルスに感染され、療養を続けておられると聞いておりました。初日の本会議を欠席され心配しておりましたが、齊藤副区長の代読された招集挨拶・所信表明には「次にお会いできるときには元気な姿をお見せできます」とのコメントがありましたので、まさか今日このようなお別れの言葉を述べることになるとは思いもよりませんでした。

私たち議員一同が尊敬し、かつ敬慕してやまなかった高野之夫区長は、1999年、区民の衆望を担って豊島区長に就任され、6期24年にわたり区政を担い大きな礎を築かれました。

財政破綻寸前だった当時の豊島区政を再建させ、借金のピークだった1999年からわずか16年後の2015年には新庁舎を建設、移転させた行政手腕は後世に燦然と輝く快挙でありました。さらに、新庁舎の竣工を皮切りに、文化芸術の発信拠点であるHareza池袋や個性あふれる4つの公園の整備などにより、都市再生へと導いたのであります。

また、こうしたハード整備面ばかりでなく、子育てしやすいまち、舞台芸術からマンガ・アニメなどのサブカルチャーまで受け入れるアートのまちなど、これまでの豊島区のイメージを大きく一新させたのであります。

そして今、区制施行90周年から100周年に向け、こうして築いてきた街の拠点を生かし、賑わいの創造を担う区民や企業の絆を強めるオールとしまのまちづくりへの新たな挑戦が始まったところでありました。

豊島区高野区政の90年の道のりは、決して平たんではありませんでした。しかしながら、あなたの強い責任感と使命感、「ピンチこそチャンス」と自らを奮い立たせて数々の困難を乗り越えてこられたのであります。そして、これからも新たな挑戦に向けて手腕を振るっていただきたいと、私たちは一刻も早い回復を祈っておりました。とても残念で仕方がありません。

この議場で再び高野区長の声を耳にすることはかないませんが、あなたのまちづくりへの情熱と意思は、必ずや志を同じくする多くの人々の心に届き、引き継がれていきます。そして、あなたの誇り高い志は、私たち議員一人一人の胸中にも深く深く刻まれ、これからも生き続けていくことでしょう。

豊島区議会は、あなたが愛し続けた豊島区をさらなる発展へと導くため、全力を尽くしてまいることをお誓いいたします。どうかこれからも豊島区政の安寧と進展を泉下から見守ってください。

申し上げれば限りなく、惜別の情は尽きませんが、ここに豊島区議会を代表して衷心から御冥福をお祈り申し上げます。今はただ安らかにお眠りください。

ここに、故高野之夫豊島区長の御生前の数々の功績をしのび、衷心より御冥福をお祈り申し上げ、追悼の言葉といたします。

令和5年2月14日。豊島区議会議長、木下広。

 

○副議長(永野裕子) 以上で高野之夫豊島区長に対する追悼の辞を終わります。

議長職を交代いたします。

〔永野裕子副議長退席、木下広議長着席〕

 

○議長(木下 広) これより故人の御冥福をお祈りするため、黙とうをささげたいと存じます。

御起立をお願いします。

〔全員起立〕