22R4.03.11 東日本大震災と東京電力福島第一原子力発電所の事故の発生

東日本大震災と東京電力福島第一原子力発電所の事故の発生から11日で11年です。年月の経過とともに教訓をどう語り継ぐかが課題になる中、各地で犠牲者を追悼する式典、記憶を伝える行事が行われました。

https://www3.nhk.or.jp/news/html/20220311/k10013522171000.html?fbclid=IwAR3lRKIG2bXMWuiLlaskL9Ac8FRO3e7vGf93zXzZfx1vSivFvFW0y7aRGjo

17:30すぎ 宮城 石巻 大川小学校で竹灯籠に明かり
宮城県石巻市の大川小学校では、遺族たちが手作りした竹の灯籠に明かりをともし、鎮魂と防災への願いを込めて祈りをささげました。震災遺構となった校舎の近くの広場には、遺族たちが手作りした犠牲となった人数と同じ大小84本の竹の灯籠のほか「津波から命を守ることを語り継ごう」とか、「天国でお父さん、お母さんにあえますように」といったメッセージが書かれたキャンドルが並べられました。
そして午後5時半すぎ、灯籠に設置されたLEDが点灯されると竹にあけられた穴から光が漏れ、周囲は幻想的な雰囲気に包まれました。
17:00ごろ 福島 楢葉町 約2000本のろうそくともす
福島県の楢葉町と双葉町では合わせておよそ4000本のろうそくに明かりをともすイベントが行われ、このうち楢葉町のJヴィレッジでは日が暮れ始めた午後5時ごろからろうそくに火がともされました。福島県をかたどったおよそ2000本のろうそくの明かりが浮かび上がると、訪れた人たちは、じっと見つめたりスマートフォンで撮影したりしていました。ろうそくが入った容器には双葉郡の9つの小中学校の児童生徒およそ200人の願いや夢が描かれています。
14:46~15:37 宮城 石巻 大川小学校 遺族が祈りささげる

宮城県石巻市の大川小学校は11年前の津波で児童と教職員合わせて84人が犠牲となり、校舎とその周辺は去年7月、記憶と教訓を後世に伝えようと震災遺構として整備されました。11日は児童の遺族など大勢の人たちが訪れ、午後2時46分と、学校に津波が押し寄せた地震発生からおよそ50分後の午後3時37分に合わせて黙とうを行い、祈りをささげました。

当時3年生だった長女の未捺さんを亡くした只野英昭さんは「10年以上がたったからといって区切りがつくわけではなく、娘の命が奪われた真実を知りたいという気持ちは変わりません。同じような経験をする人たちを出したくないので、地震や津波の恐ろしさ、そして防災の大切さを伝えていかなければいけないと思います」と話していました。

当時5年生で11歳だった次女の千聖さんを亡くした紫桃隆洋さんは「娘と過ごした11年は短く、この11年はとても長く感じました。思い出も多いこの学校を命をどう守るか考える場所にするため、行政とも話し合っていきたい」と話していました。

また、当時6年生だった次女のみずほさんを亡くし語り部活動を続ける元中学校教員の佐藤敏郎さんは「サイレンが鳴ってからおよそ50分間、子どもたちが校庭で待機していたことを考えていました。この場所で多くの命が失われましたが、訪れる人には震災前にここにあった日常を知ったうえで防災への備えを考えてほしいです」と話していました。

【14:46 発生時刻に各地で黙とう】
岸田首相 福島県主催の追悼復興祈念式に出席

岸田総理大臣は11日、福島県を訪れて県が主催する追悼復興祈念式に出席し、東日本大震災が発生した時刻の午後2時46分に黙とうをささげ、犠牲者を悼みました。

そして岸田総理大臣は追悼の辞で「最愛のご家族やご親族、ご友人を失われた方々の気持ちを思うと今なお哀惜の念に堪えない。原子力災害からの復興に向けては、中長期的な対応が必要であり、引き続き、国が前面に立って、住民の帰還に向けた生活環境の整備や産業となりわいの再生支援を進める」と述べました。

そのうえで「大きな犠牲のもとに得られた貴重な教訓を決して風化させることなく、防災対策に役立てていくことはわれわれの責務だ。わが国は幾度となく国難と言えるような災害に見舞われてきたが、そのたびに勇気と希望をもって乗り越えてきた。今を生きる私たちも先人たちにならい、手を携えて前を向いて歩んでいく」と述べました。

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