15.10.18 公明区議団 小倉秀雄さんがご逝去

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10月18日(日)、お昼12時過ぎ 我々公明区議団の大先輩、小倉秀雄さんがご逝去されました。73歳、あまりにも早いご逝去でした。

昭和16年12月生まれ。
昭和50年に区議会議員に33歳の最年少で挑戦。初当選を3千票を超える最高得票で当選されました。以後8期連続当選。
平成19年に西山議員にバトンタッチするまで、32年間区政に絶大な影響を与えてこられました。

区議会では区民建設委員長、決算委員長、防災委員長、副議長を務められ、平成14年には区議会の大方の支持で公明党初の議長に就任されました。

平成8年の保守党区議会の不正出張事件の時には全国ネットの話題となりましたが、小倉先輩は副議長として、事態の収拾にあたり、野党からも一目おかれる存在となりました。

また、平成11年、高野区長が就任されてからは、最大の危機であったオウム真理教道場の追放運動を主導して10か月後に追放を勝ち得ました。
平成18年ころの新庁舎建設にあたっての開発スキームの政治的な判断等々、区政の重要な分岐点で正しい判断を区長に提言してきました。

また、平成14年議長職を就任中に、公明会派から離脱・離党する大きな事件の時も、区議団代表として艱難を乗り越えてきました。
平成18年には、現職議員水間和子さんの逝去にも立ち会いました。

勇退後の平成20年からは、豊島区社会福祉協議会の仕事を務められました。

平成24年春、胃がんが見つかり、4月に全摘出手術をされ、順調に回復され、今年27年4月の区議会選挙の8名全員当選を喜んで下さり、新庁舎で行われた公明OBと現職議員の懇親会でも出席され、みんなで集合写真を撮りました。

しかし、今年9月発熱して豊島病院に入院。10月14日の逝去1週間前には、高橋佳代子幹事長と木下広議員が病院を訪れ、議会の状況をじっくり聞いて頂き、様々なアドバイスを頂きました。

両議員が帰るときには、珍しく両手を挙げて「頑張って! 俺もがんばってすぐ街にもどるから」との言葉が最期でした。

葬儀日程は、10月21日お通夜、翌22日告別式。地元池袋本町の後藤会館で、葬儀委員長に長橋けいいち都議、副委員長に西山陽介区議として挙行されました。
21日お通夜には、木下広議員から弔辞が、22日告別式には高野之夫区長がお別れの言葉を述べられました。

我々公明区議団は、偉大な先輩が築いてくださった土台、道に、しっかりとした建物を作り、道を拡大していく決意をしました。

改めましてご冥福をお祈りいたします。

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