○副議長(大谷洋子君) 最後に、三十一番議員より「21世紀区民のための新しい豊島構築をめざして」の発言がございます。
〔三十一番池内晋三郎君登壇〕(拍手)
○三十一番(池内晋三郎君) 時間も大分遅くなりました。お疲れのことと思いますが、ごく短くやりますので、いましばらくご辛抱の方をお願いいたします。
私は、公明党豊島区議団を代表して一般質問を行います。
質問に入る前に、過日のアメリカの原子力潜水艦との衝突事故により行方不明となられた九人の皆様の一刻も早い発見、救助を心から願い、ご家族の方々に対しまして衷心よりお見舞いを申し上げます。
それでは、順次質問と若干の提案をいたします。高野区長の積極的なご答弁を願うものであります。
いよいよ二十一世紀を迎え、多くの人々が希望に燃えての新年と新世紀を迎えたことと思います。新年元旦の読売新聞の社説には、「新世紀、元気な日本をめざそう」、副題として、「明確な国家像を大胆な戦略で」とあり、「再活性化へ改革断行を」、
「人材群の育成が必要だ」、「国家像、国家目標の確立」、「国際社会での責任分担」、「決断への勇気と責任感」、との項目を挙げ、論を展開し、また朝日新聞の社説には、「二十一世紀の始まりに」とあり、さらに「『全球時代』を生きる」とあります。「深まる世界の相互依存」、「偏狭な伝統回帰は危うい」、「適応力乏しい日本政治」と挙げております。以下、若干長くなりますが、両紙を引用させていただき、区長のご所見を伺いたいと思います。
まず、読売では、「希望と不安の入りまじる新たな世紀」としており、「IT(情報技術)革命、グローバル化、バイオサイエンス(生命科学)やナノテクノロジー(超微細技術)、宇宙科学の進展、あるいは地球環境の悪化…」等々と述べ、期待と不安の両立をのぞかせております。そして、二十世紀最後の十年を「失われた十年」との言葉を引用し、二十世紀日本の議論の一端を指摘し、日本経済の再活性化のために財政、金融の両面から、果断で機動的な政策運営に取り組むことを述べ、将来の財政再建、健全化を提示しております。その上で、さまざまな点を列記し、負担と給付のあり方を組み立て直すこととしております。もちろん真の意味での社会的弱者の方たちに対する救済を考慮することも指摘されております。それらを踏まえた上で、世界の中の日本を浮かび上げております。
一方、朝日は、二十一世紀はどんな時代になるのかと問いかけ、「環境の世紀」とか、「市民の世紀」、「情報の世紀」あるいは国家や民族の「統合」、しかしながらむしろ「分化」へ向かうとの予測を述べております。「人間の想像力には限界」があり、また「歴史には思わぬ展開がつきもの」とし、「前世紀の初頭、多くの人々は科学技術の進歩への期待から、総じて明るい未来を予測していた。しかし、国家間の対立の激化が早々に世界大戦の続発を生む。二十世紀は『戦争の世紀』へと暗転し、科学の進歩も『総力戦』遂行の大量殺りくに動員されることとなったのであ
る」。そして、「いま、地球にバラ色の明日を描くのは難しい」と述べており、世界が抱える諸問題を上げております。しかし、「今年は、国連の『文明間の対話年』でもある」。その契機をつくったイランのハタミ大統領の日本の国会での演説を引用し、
「異なる文明や思想を互いに尊敬しつつ、対話と交流を図る訴
え」は多くの人に感銘を与えたと述べております。その上での
「グローバリゼーション」を中国語の「全球化」に訳し、両語の持つニュアンスの違いを挙げられ、「『全球』で知恵を出し合えば何とかなるのではないか」と語りかけておるのであります。
両社説を読み返しますと、ともに二十一世紀に対して希望的観測を予測しながらも、一方では悲観的指摘も見てとられます。この二つのコントラストは、世紀の変わり目に特有のものかもしれません。しかし、私たち政治に携わる者としてこのような困難なときこそ、区民、国民の皆様に豊かさを実感できる生活環境を提供しなければならないと考えております。このように述べると、性急に現在の経済、政治を批判する方もおるかもしれません。だからこそ、地道に着実に取り組むことが、政治に責任をもつ者の使命と思います。それが多くの区民に対し安心と希望、夢と前進への活力を与えることと思います。そして、二十一世紀が私たちすべての人間にとってすばらしい世紀であるように、全力で取り組むことが肝要であり、そのために最初の年である今年が非常に大事な一年であると思いますが、区長はいかがお考えでしょうか。
多少前文が長くなりましたが、今述べてきたことを前提に高野区長に質問をいたします。
まず、財政と予算について伺います。
高野区長は、今年度予算編成に当たり、その特徴を二十一世紀最初の予算で四会計を合わせ過去最大規模と述べ、昨年来取り組んできた行財政改革の成果を結実させるべく苦心をした。そして、「財政健全化計画」と「新生としま改革プラン」の確実な実行と財政の再建に確かな一歩を踏み出すことが求められているとしており、平成十三年度予算では、財源不足の圧縮のため、内部努力の徹底、事務事業の見直し、歳入確保に取り組み、既定経費の削減に努めた。結果、特別な財源対策として学校跡地の活用、職員給与の臨時特例的な縮減に対応したと述べております。その上での今日的な区民要望にこたえ、直面する課題へも立ち向かうとしております。つまり介護保険制度のもとでの基盤整備、保健福祉分野の質的向上、教育基盤の再生、副都心としての機能を高める街づくりへの取り組みを挙げております。財政の健全化に向けた展望と新たな課題への対応についても、一定の備えができたとしております。
今年、新年会で何度か区長と同席をさせていただきました。区長は、豊島区の厳しい財政状況を理解してもらうために、丁寧に説明をしておられました。出席者の中には、何度もお金のない話を聞いて「もうわかったからいいよ」と言う方もあり、私も大変失礼ですが、「区長、お金のない話はもういいからしないでもらいたい」と申し上げたことがありました。区長も苦しい状況の中、「池内さんがお金のない話はするなと言っていますので、今日はしません」と言われ、今後の取り組みと展望、その決意を話されておりました。出席者の方は区長の話に感銘をし、「やはり話は明るくなくては」と言っておりました。
十年前の平成三年には、特別区民税も二百七十四億円、平成四年の二百七十九億円をピークに十三年は二百六十一億円と、恒久減税を含むとはいえ収入の落ち込みを考えれば、いかに区財政が厳しいかは一目瞭然であります。区長は、平成十六年度に区財政を黒字転換するとしておりますが、引き続き十四年度、十五年度と厳しい状況が続くことは明らかであります。なぜこのように言うかといえば、区民の皆様の中には、十六年度には黒字転換とのことで、区財政はゆとりが出て、明るい展望が開けると思われている方が大勢おります。私は、そのときには十六年度からがむしろ正念場であると説明をしております。区民は、日本も東京都も豊島区も経済が大変なのはよくわかっている。いつまで我慢したらよくなるのか、その目標、めどをはっきりと示してもらいたい。そうしたなら我々も頑張る、張り合いが出ると言われております。もっともなことと思います。区民は賢明であります。本音を語り、二十一世紀の豊島区の明るい展望を開くためにも、ぜひとも確たる見通しを立てて示すべきと考えます。区長も招集のあいさつ、所信表明で、十六年度に実質黒字を実現しようという目標を達成するためには、まだまだ乗り越えるのには困難な幾多の壁が待ち構えておりますと述べられておりますが、若い世代が将来への夢と希望を持てる区政を実現するという、私に課せられた責任の重さを痛感し、自らの決意を新たにしたと。さらに、二十一世紀を迎えたこの記念すべき年に当たって私は、自己責任を徹底していくことを基本に据え、全力を挙げて新世紀の区政運営に取り組むと強い決意を述べられております。再度区長のお考えを伺います。
さきに引用した読売の社説、国際社会での責任分担の項では、国際環境の先行きとしてはありますが、十年先を見通すのは難しい。二十年先となるとかなり漠としてしまう。三十年先は霧の中に近いとしております。朝日では、新世紀早々だ。いたずらに悲観論に陥ることはやめておこうと、さまざまな観点から論陣を張ったとしても、最後には彼ら自身も確たる指針を示すことなく論を結んでおります。さきに申し上げたとおり、責任を痛感する私たちは自信を持って事に当たるべきと申し上げたいのであります。
区長は、所信表明で、区民の暮らしを守るために五つの重点施策を挙げられました。厳しい財政状況の中、当面の課題を着実に実行するためとはいえ、区民の皆さんや職員に対し多大なご負担をいただく内容を盛り込んだものとなったと率直に述べられております。確かに施設使用料の有料化等、今議会にかかる議案がございます。私は過日、区民の方からある施設が廃止になるのではと問いかけられました。その方は施設の所管が変わることを廃止と思い込んだものでした。その際、その方と有料化の話題になりました。その方は、区財政も厳しいのだから利用者から利用料をもらうべきであるということでございました。そのためには、署名運動をしてもよいと、そういうふうに言っておりました。最終的には署名活動は行いませんでしたが、多くの区民の皆さんはそのように思っております。これらの区民の皆さんのために今、今予算の特徴、特に福祉、保健衛生、子育て支援策等について再度伺うものでございます。
次に、副都心池袋、豊島区の街づくりについて伺います。
重点施策でも述べられ、また豊島区都市計画マスタープランでも基本方針は策定されておりますが、私は今一歩踏み込んで副都心池袋の街づくりに提案をしたいと思っております。その前に現在、東池袋の再開発は、幾多の困難を一つひとつ爪を立てるがごとくの思いで取り組んでおります。組合員の皆さんの思いはいかばかりかと察します。過日、総会が開かれたと思いますが、進捗状況と今後の進展、取り組みをお聞かせください。
さて、グリーン大通り周辺整備の基礎調査の予算が計上されております。これに関しては区民負担が増えるとの意見がありますが、明快なご答弁をお願いいたします。
グリーン大通りの基礎調査に合わせて池袋駅前、すなわち東池袋一丁目十九番地から二十六番地にかけての街区についてであります。この一帯は駅前の好立地条件を備えた地区でございます。面積も東池袋四丁目再開発地区よりも大きく、代官山の再開発地区に匹敵をしております。条件ははるかにこれらを超えるものであります。副都心池袋には何とももったいない地区であると考えております。この地区の再開発を図れないものかと常々私は思っております。西武デパートを出て信号を渡ると、余りにも歩道が狭く、人の往来もままならぬ状態でございます。ここには区道もありますが、この区道も取り込み、一帯の地権者と再開発を図り、一定の階高までは現在の店舗、それ以上の階には住宅を併設する。区道の分として区の持ち分も確保でき、その上想像ではございますが、かなりの超高層ビルが二棟は建設可能と思われます。住宅戸数も相当数にのぼり、人口増加にもつながると同時に、かなりの税収になると思われます。空地を確保し、今以上に緑を増やす、来街者の方々が買物と散策を楽しみ、ゆっくりと憩える場をつくることができます。各地で再開発が行われておりますが、それぞれに失敗例、成功例がございます。しかし、好条件の地の利を生かし、住宅を採り入れた場合、必ず成功すると思います。高層にしても反対する条件はこの地にはないと思われます。さらに、池袋駅前は東口、西口ともこのような地区がほかにも散見されます。東口が開発されますと、西口も芸術劇場との一体で街づくりが進み、名実ともに副都心としての池袋の名が全国に広まり、新宿、渋谷を凌駕するすばらしい街となることは必定であります。さらに、懸案の東西デッキも可能となることでありましょう。この再開発は当然区が単独で進められるものではありませんが、民間の活力を活用、誘導するべきと思います。残念なことに現在の池袋は余り評判は芳しいものではありません。池袋で生まれ、池袋で育った高野区長です。この地をすばらしい副都心・池袋にしていきたいと思います。当然難問がつきまとうことは承知でございます。英知を傾け取り組むよう提案いたします。区長の前向きなご答弁を望みます。
次に、資源循環型社会について伺います。
昨年五月、公明党の主導により循環型社会形成推進基本法と関連法が整備されました。これによりごみゼロ社会への大きな枠組みができたことになります。そして、従来のスローガン的な取り組みから、法に基づき実効性のある施策が求められるようになりました。
我が会派は、これまで大量生産、大量消費、大量廃棄の状況を転換するため、いち早く、そして一貫してリサイクル問題に対応する各施策等の提言を行い、豊島区も他自治体に模範となるリサイクル行政を進めてまいりました。その一つが、行政も区民も一体となった取り組みであるパイロットプランであります。高野区長も区長就任以来、「リサイクル都市としま」の実現を表明され、私たちも循環型社会形成推進法の成立と合わせ、さらに豊島区のリサイクルが推進されるものと期待をしております。しかし、残念ながら今年度に入ってからの新たな動向が見えませんでしたが、昨年秋から新たな資源回収への取り組みが始まり、その具体的な形が十三年度予算に試行経費として計上されております。新たな資源回収では、可燃ごみの収集日が一日少なくなりますが、パイロットの品目を上回る形で考えられております。可燃ごみの収集日が一日少なくなることは大変なことですが、ごみゼロ社会に向けて避けることはできないと思います。そのため、行政は街に入り、区民と対話し、理解と協力を求めていくことが大切であります。ぜひ労を惜しまず実行してもらいたいと思いますが、いかがでしょうか。
ごみ問題、リサイクルについて、豊島区民の皆さんの関心は高いものがあります。こうしたことを踏まえ、区長は循環型社会形成推進基本法等について、どのようにとらえているかお伺いいたします。また、パイロットプランは地域のリサイクル意識啓発という広がりも生みましたが、今後実施されます新たな資源回収について、どのような位置づけをされているのかお聞きいたします。さらに、各家庭でコンポスト等で生ごみのリサイクルに取り組んでいる方々も結構いらっしゃいますが、将来財政が許す状況になったときには、区としても助成することも視野に入れるべきと思いますが、いかがでしょうか、伺います。
次に、平和への取り組みについて伺います。
新たな二十一世紀を迎え、前世紀の悲惨な大戦の経験から、もう二度と戦争はしないと世界の多くの方々が誓ったはずですが、いまだに紛争の絶えることがなく、むしろ、いつ、地域紛争から世界を巻き込みかねない状況が続いております。日本は、第二次世界大戦の折には原爆の洗礼を世界でただ一カ国、広島、長崎の地に受けたのであります。核兵器削減の機運の高まり、包括的核兵器禁止条約、核拡散防止条約等の締結に向けての動きがある中、実質的削減はもとより、なお核保有の動きがかいま見える状況であり、いつ地球全体に平和が訪れるのか、果たして貴重な経験を生かし切れるのかが、今問われております。
豊島区では、他区に先駆けて非核都市宣言をいたしました。以来、毎年記念行事を行い、区民に意識啓発を行ってまいりました。私は、平成八年の一般質問で(仮称)原爆記念館を建設し、常時展示を行い、区民に平和の尊さ、原爆の悲惨さを訴えることを提案いたしました。当時加藤区長は、原爆資料の収集の難しさ、資料の借り出しの困難を理由にあげ、今後建設予定の郷土資料館に戦時中の資料を展示すると述べられておりました。今回、資料館では明治、大正、昭和初期の家庭用品等の展示が行われております。館長さんに必ず見に行くことをお約束いたしましたが、いまだに実現できず残念に思っております。展示前に保管されているのを視察に伺い、一部を拝見させていただき、当時の生活と庶民の姿を思い浮かべ、感無量の思いになりました。これらは貴重な文化であり、これらを寄贈いただいた方々に大変感謝するものですが、合わせて戦争当時の資料の収集と展示ができればと思います。収集といっても簡単なものではないことは十分承知をしております。そして、非核都市宣言を先駆けた豊島区として、さらに諸行事を充実したものとし、核兵器廃絶と機運を我が豊島区から盛り上げてはどうかと提案いたします。区長のお考えをお聞かせください。
次に、教育問題について伺います。
近年、教育の荒廃が憂慮されて久しく、非行、校内暴力、不登校等が子供たちに直接かかわる親や教師はもとより、多くの心ある人々を嘆かせております。さらには、十四、五歳の少年による殺傷事件の続発や十七歳の少年による主婦殺害や高速バス乗っ取り事件、金属バット殺人事件等が日本中を震撼させておることはご存じのことであります。加えて、いじめによる自殺等の悲劇も後を絶ちません。世界的に懸念されている薬物汚染までもが不気味な広がりを見せております。
特に、最近深刻になっているのが、学級崩壊と呼ばれる現象です。生徒が先生の言うことを聞かず、クラスがコントロール不能の状態に陥ってしまう。かつては中学校段階に特に顕著だったこの現象が、この数年は小学校の低学年にまで及んでいるとのことです。子供たちに責任を持つべき教師の側でも、三分の一がクラス担任をやめたいと思ったとの調査結果もあります。このままでは学校システムそれ自体が機能しなくなるような事態さえ起こりかねません。そこで、本区での実態はいかがなのか、伺います。
いじめは、子供の人格と人間性を破壊しゆくものであり、断じて許すべき行為ではありません。いじめはいじめる方が絶対悪であるということを教えていかなければなりません。教育長のこれからの取り組みを併せて伺います。
また、深刻なことは勉強が嫌い、授業についていけない等の学力の低下の問題があるとも言われております。義務教育にかかわらず高校、大学に進学した後も授業が理解できない、一部では、大学生で予備校の教師に依頼して補習授業を行うとの報告もあるとのことであります。学校においては教師が、家庭においても親が、この子たちへ一体どのように対応したらよいのか、まさに大人たちの側が確たる対応のすべを求め呻吟している状況であります。間もなく完全実施される学校週五日制をにらんで、文部省が改定した新学習指導要領の志向するゆとり教育のもとで、生きる力を養おうとの方向性は、従来の知識偏重の詰め込み教育や過激な受験戦争にあったとしての軌道修正ではありましょうが、これにもさまざまな議論があるところでございます。ともあれ、私たちは、未来を担う子供たちに一体何を、どのようにしてあげられるのか、その点を早急に考えることが大事であると思います。
興味深い話を伺いました。それは、心理学者が小学生を対象にテストを行った。「この試験は将来の学力の伸びを正確に予測するものです」と担任に説明。試験後、こっそりと伸びる子供たちの名前を教えたそうです。担任も該当の生徒に内緒でそのことを伝えたところ、一年後、その生徒たちはほかの子供に比べ著しい向上を示したそうです。ところが、心理学者は適当に名前を選んで告げていたのだそうでございます。これは数学者の藤原正彦氏が「父の威厳・数学者の意地」という本の中で紹介している話でございます。他に認められ励まされることが、どれほど子供の成長に大切かを示しております。作家の司馬遼太郎氏は、子供のころ一度だけ褒められた感激を生涯心にとどめていたとのこと。同級生から、将来は刑務所暮らしに違いないと思われていたほどのワルだったそうでございます。中学二年の作文の授業で、ざわつく教室の中、氏はたまたまぼんやり窓の外を見ていたところ、教師がその姿を見て、「彼を見ろ、何を書こうかと一生懸命考えているんだ」と褒めてくれたそうでございます。司馬氏は、「今でもそのときの興奮が残っている」と。また、後々も氏は、「最近よく他人の子供を叱ろう」と言われております。私の師匠の言葉ですが、この司馬氏の言葉を聞いて、「無関心はいけないということであろう。確かにそのとおりだが、同じことなら私はむしろ他人の子供も温かく励まそうと言いたい」と私に教えてくださっております。
また、先日、子供たちは、果たして王様かとの議論を伺いました。その方は、子供は王様ではない、これからしっかりしつけをしなければいけないとのことでございます。心理学者あるいは司馬遼太郎氏と比較した場合、これは格段の思考の違いを教えられております。何げない一言、その一言がどれだけ子供を勇気づけ、可能性を引き出すか、これこそが教育のポイントではないでしょうか。子供は、大人の占有ではございません。大人の都合のよい教育をするのではなく、教育は子供の可能性をいかに伸ばし、いかに幸福にしてあげられるかが肝要と思います。その大事な子供たちのため、教育長は豊島区の教育をどのようにつくり上げていくおつもりでしょうか、伺います。
私は、現場の教師の皆さんは、確かに悩み、戸惑いを感じる中にも教育に情熱を燃やし、挑戦を続けておられます。教育長自ら現場の教師の皆さんと語り合われ、何としても豊島区の教育を、豊島区の子供たちのために、つくり上げていっていただきたいことをお願い申し上げまして、私の一般質問を終わります。ご清聴大変ありがとうございました。(拍手