2012/8/8 長崎原爆・平和式典田上市長と

No.1101  2012/09/12(Wed) 13:02
H24年8月8日 長崎原爆・平和式典田上市長と
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田上長崎市長と訪問団
67年目の長崎原爆慰霊祭に区議会を代表して参加するため、今日から長崎に向かいます。今回は高野区長、議長、副議長、自民党、公明党、共産党、自治みらい、みんな無所属の各会派代表が参列します。また、長崎市役所を表敬訪問する予定です。 公明党からは、私と辻議員が参加します。区議会として、昨年は広島原爆慰霊祭に派遣し、今年は長崎への派遣です。ちなにみ、丁度9年前の私が始めての副議長のときにも参加させていただきました。

長崎は1945年8月9日午前11時2分浦上地区にプルトニウム原爆が投下され7万人の住民の尊い生命が奪われました。ヒロシマはウラン原爆でした。
都内で先駆けて非核都市宣言をした豊島区は核廃絶にむけ一貫した取り組みが求められます。また、公明党が目指す生命尊厳、反戦の潮流を我々の立場で幾重にも拡げていく事を再確認する日です。

長崎空港から長崎原爆資料館に向かい、今年の6月豊島区非核都市宣言30周年記念式典に来て戴いた資料館中村館長さんと再会の後、超多忙の田上市長と懇談する機会を持って頂きました。

田上市長さんからは、首長と議会の全会派が参列されるのは、珍しく、豊島区の平和の意識の高さを評価され、被爆者の平均年齢が77歳を越えて、孫子の代に如何に非核・平和の松明を継承していくかが大きな課題。全国の中高生が毎年長崎に来られる姿は本当に頼もしい。長崎に足を運ぶことによって、被爆した町の人と顔を合し、話すことから平和が一歩一歩前進するとのお話しがありました。

田上市長さんと懇談の後、原爆資料館見学し、長崎市議会を訪問しました。長崎市議会板坂議長、鶴田副議長さんとの意見交換では被爆者の親が子供に被爆を隠して、子供さんが被爆の後遺症を申し出ても、科学的な証拠がないという事で、国からの補助が受けられない現実など被爆地特有の問題を伺いました。板坂議長さん自らが1歳の時爆心から1キロの地点で被爆されています。方にガラスが刺さったまま、2歳を越えて取り出したということです。もちろん記憶は残っていないが、方の傷を見て、被爆した町を認識し、平和の大切さを自分の使命と感じてこられたそうです。

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