2007/8/4 故菅原啓二元区議会議員の葬儀

No.428  2007/08/18(Sat) 20:15
8/4故菅原啓二元区議会議員の葬儀
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H15年、後任の木下議員の当選の事務所内で本川事務長と(中)
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 元公明党区議会議員の菅原啓二様が7/30ご逝去されました。8/3御通夜、8/4には告別式が行われ、現職区議会議員は感謝の思いで運営のお手伝いをしました。
故人は昭和7年12月、宮城県志波姫(しわひめ)町に生まれられ、地元の中学校を卒業後上京、昭和30年にはご当地豊島区での生活を始められました。上京してから鉄工所に勤務、汗をかき苦労しながら人生の土台を築く青春時代をすごされました。

昭和38年に豊島区議会選挙で初当選。8期、32年間を議会人として、区民の福祉向上のため活躍。副議長2回、監査委員1回、区議団幹事長等を歴任。豊島区公明党の党勢拡大の屋台骨として活躍。自民党等他会派や日々元区長、加藤前区長、高野現区長等区首脳の方々からも絶大の信頼を集めてこられました。又、初当選後の昭和40年には最愛の妻である登里子さんにめぐり会いご結婚。夫の仕事を陰で支える登里子さんとの二人三脚で地域の信頼を勝ち得てこられました。

平成7年、後任の木下広議員にバトンを引き継いでからも、その事務処理能力をいかんなく発揮され、特に都議会、国政選挙時の会計事務に関して公明党豊島総支部になくてはならない存在として、多大な貢献をされました。

昨年の秋、食道がんが発見されましたが、12月に摘出手術をし医者も驚くほどの回復力で病を見事に克服されました。今年、4月の区議会選挙でも木下議員の4度目の当選に多大な貢献をされ、木下幹事長の誕生を自分の事のように喜んでおられました。6月体調を崩され再入院。入院中も参議院選挙の山口なつお支援の葉書もやり遂げ、山口なつお当選の結果を聞いて7/30日夜、御逝去されました。

中学校を卒業してから、ご逝去までの約60年にわたる、故人の生き様、「大衆とともに」との公明党の立党精神のそのままの人生でありました。先輩方が拓き、築かれた豊島公明党の道をしっかり受け継ぎ、更に拡大していくよう、しっかり頑張って参ります。菅原さん本当にありがとうございました。

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