04/11/25
魚沼市との防災情報交換会を開催
豊島区が防災協定を締結した新潟県旧堀之内町(現在の魚沼市)との防災情報交換会が11/25午後1:30から、区防災課、区議会、区内警察・消防機関を交えて、区役所内で開催されました。魚沼市は地震後、11月に旧堀之内町、小出町、湯ノ谷村など6市町村が合併し市となりました。
会議では、魚沼市からは、小島克郎魚沼市堀之内総合支所長、星謙一魚沼市議会議長代理、魚沼市観光課小池課長補佐が早朝からの“魚沼フェア”に続き出席戴き、地震発生直後からの経過などの実体験を伺い、様々な、防災行政について質疑応答があり、魚沼市の方からアドバイスを戴きました。 区議会からは私(木下)が防災調査特別委員長として参加しました。
小島支所長さん、星議員さんからは、昨年11月防災協定を結んだお陰で、飲料水、毛布等の救援物資がスムーズに届けられ、更には1千万円を越える義援金を戴いたことに、心からの感謝の言葉がありました。そして、夕飯時の大地震にもかかわらず、住宅での死亡事故が0(ゼロ)であったことは不幸中の幸いであった事が述べられました。地震発生直後の様子では、携帯電話が全く使えず、町職員、消防団等の動きは、全て人間が動いて確認、連絡するしかなく、拡声器のついた広報車が有効であったそうです。又、土曜日の夕方の地震ということで買い物に外出していた方もいたが、大抵の職員がまず自分の家と家族の安否を確認してからの登庁ということになり約、1時間程かかったそうです。町職員と同時に消防団員も町役場に集まり、被災現場確認などの作業に直ちにかかったそうです。やはり川口町、長岡方面に買い物にいっていた町職員は国道17号線の途中のトンネルが崩落した為、地震発生の18時間後の翌日の夕方登庁した方もいたそうです。
地震発生直後の数日は余震が連続しており、朝、自宅前の車から出勤するときに多くの職員が「もしかしたらこれが最後かも・・・・」と思い家族の寝顔を目に焼き付けるようにして職場に向かわれたそうです。殆どが早朝から深夜までの仕事が続いたそうです。
行政と消防・警察等とは普段から交流を重ねていたため地元行政機関との連携はきわめてスムーズであったそうですが、電気が回復しテレビ等の情報が住民に伝わりだすと、マスコミが流す“国・新潟県”の情報が住民に早く伝わり、避難所で頑張っている町職員にはそのような情報が伝わっておらず、住民からの苦情が多々あったそうで、マスコミが流す中央の情報と現場の町職員との情報伝達のあり方については今後の大きな教訓として印象に残りました。更に、マスコミの関係では屋根のてっぺん部分が割れ、雨漏り防止のためブルーシートをやっと被せたのに、マスコミの取材ヘリコプターが家屋すれすれに飛び、シートが剥がされるというとんでもない2次災害が各所で起きたそうです。マスコミのモラルの低さを感じました。又、池袋消防署救急隊佐藤体長からは、発生後直ちに出発し、余震と戦いながらの救助活動体験談を話されるなど、大都市東京での大地震の備えのため、極めて有意義な会議でした。
“災い転じて福となす”との言葉とおり、新潟県と魚沼市の復興のため私共も一層の支援をしていきます。
(11/25/04)
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