H27.7月3日

平和安全法制についての賛成討論原稿

公明党 西山陽介

 

私は公明党豊島区議団を代表して、ただ今議題とされております27請願第3号「日本を海外で戦争する国にする戦争法案の廃案の意見書提出をもとめる請願」、27請願第4号「平和安全法案は、国民の理解と納得を得るまで期限を定めず審議をつくすべきであるとの意見書を国に提出することを求める請願」、27陳情第9号「集団的自衛権の行使等を容認する閣議決定を撤回し、関連法律の改正を行わないことを求める意見書を衆議院及び参議院に提出する陳情」、27陳情第10号「安全保障関連法案の審議に関する意見書を衆議院及び参議院に提出する陳情」について、不採択とすることに賛成の立場から討論を行います。

最初に結論を申し上げます。これら4件の請願、陳情で主張されている内容は事実と大きくかけ離れている上、日本の国民を守り、世界の平和を推進する観点から、到底容認できるものではないということであります。

昨年7月の安全保障法制に関する閣議決定においては、実質的な集団的自衛権は決して行使をしないということが決定し、その上で、我が国を取り巻く国際環境が厳しさを増す中、国民の生命と安全を守るために、紛争を未然に防ぐ抑止力を高めるための法整備に責任ある政治家たちが全力で取り組んできた、これが事実であります

今回の閣議決定における日本防衛のための公海上の武力行使も国際法的には一部、集団的自衛権と呼ぶことがあるために「限定的に行使を容認した」との話もあります。しかしながら他国を守るためではなく、自国民を守るための武力行使しか認めていないので、あくまで個別的自衛権の範疇にあります。今後も「集団的自衛権の行使を限定的に容認した」との報道、発言が続くと思われますが、中身は実質的、実態的、本質的に個別的自衛権の行使に他ならず、他国防衛のための武力行使である集団的自衛権は容認されていないのであります。したがって今回の閣議決定と関連法案は従来の憲法解釈の枠を出ておらず、完全に合憲であり、違憲ではありません。このことをよくよく知るべきです。もとより日本国憲法には自衛権という言葉すらなく、自衛権そのものの規定が存在していないのであります。加えてご承知のように憲法9条において、国際紛争を解決する手段としては、一切の武力行使と戦力の保持を永久に放棄しているのであります。憲法の定めがこれだけであれば、集団的、個別的を問わず、日本は全ての自衛権を行使することができないのです。

すなわち、外国から攻撃され、侵略され、国民が生命の危機にさらされたとしたら、憲法9条の下で自衛の措置はどこまでが許されるのか、限界はどこにあるのか、このことが昨年7月1日の閣議決定に至るまで、与党協議での最大の論点なのであります。

では、どうして自衛権が認められるのか。それは憲法前文に「全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認」しており、同じく13条において「生命、自由、幸福追求に対する国民の権利については、(中略)国政の上で、最大の尊重を必要とする」ことを定めているからであります。この原理と理論に基づき、従来の政府見解の中でも、最も論理的、詳細に論じ、支持されてきたのが、1972年の内閣法制局の見解であります。すなわち「わが国がみずからの存立を全うし国民が平和のうちに生存することまでも放棄していないことは明らかであって、自国の平和と安全を維持し、その存立を全うするために必要な自衛の措置をとることを、禁じているとはとうてい解されない」との一文であり、憲法9条を有する日本国憲法も自国防衛を容認しているのであります。

これに基づいて行われたのが昨年の閣議決定であり、そこで明確となったことは「他国の防衛を目的とする集団的自衛権の行使は断じて認めず、あくまで憲法9条の下で許容される自衛の措置、すなわち専守防衛を貫き、現状の危機的な安全保障環境の中で、国民を守るために、個別的自衛権をすみやかに拡充する」ということであります。

さらに閣議決定の柱となる「自衛の措置の新3要件」については、当初の自民党案を公明党が修正し、完成したものです。文中の「わが国と密接な関係にある他国」とは、わかりやすく言えば「わが国の国民を守るために活動している国」ということであります。しかしながら、この「わが国の国民を守るために活動している国」が攻撃されただけでは、未だ日本は武力行使を禁じているのであります。

さらに、この攻撃によって、わが国の存立が脅かされ、国民の生命が危機にさらされることが、誰の目にも明らかな状態になっても未だ、なお、武力行使はできないのであります。最後に武力行使を回避する方法がないか、懸命に方策を探さなければなりません。その方策がどこにもないとわかった時にはじめて、国民の命を守るために、必要最小限度の実力行使を行うのであります。あくまで国民を守るだけの実力行使だけであり、敵を壊滅させるまでの武力行使は、我が国においては最後まで禁止されているのです。これが昨年7月に政府与党によって、改めて決定されたものであり、平和安全法制の内容であります。

どこまでも平和的解決を魂とする公明党の精神が生かされたものとなったのであります。繰り返します。集団的自衛権とは、自国が攻撃されていないのに、攻撃されている他国を守るために攻撃することであります。

個別的自衛権とは、自国が攻撃されたとき、自国を守るために必要最小限の反撃をすることです。今回、これを厳格な規制のもとで拡充することを訴えました。

よって、請願第3号の「集団的自衛権の行使容認を柱とした閣議決定」「集団的自衛権を発動しアメリカの先制攻撃にも参戦するなど、憲法9条を踏みにじる大問題」、同じく請願第4号の「平和安全法案は憲法に違反する疑義がある」、また陳情第9号の「集団的自衛権行使の容認」「憲法の基本的原理に関わる解釈の変更」、そして陳情第10号の「集団的自衛権の行使が可能になる」「従来の専守防衛から180度の大転換」等の主張は全て閣議決定と関連法案の内容を誤認しているか、あるいは無視していることが明白です。

また、請願第4号の「3人の憲法学者が揃って法案は違憲であるとし」たとのことでありますが、その意見を聞けば、法案の中身よりも、「集団的自衛権の行使が違憲」というものであり、従来の解釈から大きな違いは見られません。

最初に申し上げたとおり、閣議決定も関連法案も実質として集団的自衛権の行使を認めておりません。したがって、違憲だという解釈はあたりません。これまで日本の憲法学界が、自衛隊の存在や日米安保条約が、そもそも違憲かどうかという議論はあっても、憲法9条と自衛の措置の限界について、その議論に真摯に取組んだという話はあまり聞いたことがありません。しかしながら、我が国の国民が、主として自衛隊と日米安保条約に基づいて、永らく守られてきたことは明確な事実であります。

学者や専門家の意見は真摯に受け止めるべきですが、憲法との適合性を慎重に検討することや、その中で国の存立や国民の命を守るための法整備をすることは、政府や国会の責任であります。なお、合憲か違憲かの最終判断は最高裁判所の権能であることも強く指摘しておきます。

次に自衛隊の後方支援について述べます。これは日本の平和と安全を守る必要があるときに適用される「重要影響事態法」に基づくものと、国際社会の平和と安全に貢献するための「国際平和支援法」に基づいて活動する2つがありますが、双方とも海外派遣の3原則に基づき行われます。

まず、国連の決議があること、すなわち国際法上の正当性が確保されていることが第1条件となります。次に例外なき国会の事前承認も必要であります。そして、次に自衛隊員の安全確保が大前提の条件となります。決して他国の武力行使と一体化することのないよう、現に戦闘行為を行っている現場だけでなく、戦闘行為が予測される場合も派遣、すなわち後方支援を行うことはありません。そして万一、派遣中に少しでも戦闘行為が予測される事態となった場合は、現地の隊長の判断で、活動の中止や中断を行えるようにしたのであります。

後方支援とは、燃料の補給や輸送などの業務であり、武力行使は一切行えないこととなっております。また、そもそも自衛隊は、他国に本格的な攻撃を加える能力を欠いていると指摘する軍事専門家も多くおります。したがって、請願第3号では「日本をアメリカのおこす戦争にいつでも、どこでも参加できるようにする戦争法案」とのことですが、事実は反戦法案であり、その名の通り「平和安全法案」です。

同じく「戦闘地域にまで行って軍事支援をする」とのことですが、申し上げたように自衛隊は戦闘地域には行けません。つまり、これらの主張は法案の内容、主旨に何ら沿うものではなく、暴論としか言いようがないのであります。

また、請願第4号の主張のように「国際法の見地から、国際ルールに照らして法案の諸規定は抵触するとの疑義」もどこにもないのであります。

最後に国連平和維持活動すなわちPKO法でありますが、これも参加5原則にのっとり、厳格な条件の下でしか参加できず、自衛隊員は自らの正当防衛と緊急避難以外は武器の使用はできません。すなわち、防護を必要とする住民を守るだけで、現地の治安維持活動を行うことはないのであります。よって請願第3号の「イラクやアフガニスタンでの治安維持活動などに参加し武器が使用できるようにする」との主張も法案の内容を歪曲したものと言わざるを得ません。

以上これら4件の請願・陳情の錯誤について、指摘をして参りましたが、これ以外にも、これら請願・陳情はいくつかの深刻な課題を包含しております。

 1992年成立のPKO法の時にも、今と同じように「戦争に巻き込まれる」など、実態に基づかない一方的で無責任な批判を行う人たちがおりました。実態として紛争終了後、生活の基盤を奪われた多くの難民、特に汚れた水を飲み、命を失っていく乳児や不衛生と栄養失調のために病に侵された人たちを救うために、井戸や診療所を作り、一発の弾丸も撃たずに、任務遂行を果たしてきたのであります。

その際、多くの現地の人たちから惜しまれての帰国だったでしょうし、今ではPKOは国民の大半の支持を受けております。にもかかわらず、批判のための批判に終始し、国民を惑わし、欺いた人たちは、このことをどう考えているのでしょうか。現地で苦しんでいる人たちを救うために、自衛隊が国際貢献することは国際社会の一国として当然のことと考えますが、こうした難民たちは放っておけ、とでも言えるのでしょうか。

また今回の閣議決定と法案提起の背景には、我が国を取り巻く安全保障環境の悪化があります。我が党は、日本を含む各国が紛争や戦争に至らぬよう、日頃の平和外交を最も重要視しており、その努力も長年にわたって継続してまいりました。そうした努力を重ねても、なお世界においては、核兵器や弾道ミサイルなど大量破壊兵器の脅威が拡散し、しかもその軍事技術が著しく高度化しているのであります。また、日本人も犠牲になっている国際テロなど、今やこうした脅威が国境を越えてやってくる危険性も十分にあり得るのです。こうした中、隙間の多い現状の防衛体制を改め、国民の安全を守るのは国の最大の使命であり、政治が必要な法律や原則を整備することは当然のことであります。それに協力するどころか、妨害する人たちは、いざ国民や自分たちが危機にさらされたときにどのように対応しようとしているのか。そのことも考えずに、批判だけ繰り返すのは、あまりに無責任であります。さらに、こうした閣議決定や法案の内容に基づかずに、国民の不安を煽るだけの極論は、周辺国や国際社会の誤解を招き、大きく国益を損ない、結果として、多くの国民を危険にさらすことにつながるのではないでしょうか。その責任は、どう取るのでしょうか。

公明党は、憲法前文と13条にうたわれた、全世界の国民が、平和のうちに生存する権利と日本国民の生命、自由、幸福追求の権利、そして不戦の誓いである憲法9条を守りぬくために、責任を持って閣議決定を行い、関連法案の作成に挑みました。この度の平和安全法制が整備されたとしても、日本が世界で最も軍事力に抑制的な法律を持つ国であることは、何ら変わらないのであります。

よって公明党豊島区議団は、議題とされております27請願第3号、27請願第4号、27陳情第9号、27陳情第10号、全4件について、不採択に賛成するものであります。以上で討論を終わります。ご清聴ありがとうございました。